東京高等裁判所 昭和33年(う)644号 判決 1958年6月23日
控訴人 原審弁護人 浅野昇
被告人 チヤールス・ジヨセフ・ゲルハルト・ジユニア
検察官 杉本覚一
主文
本件控訴を棄却する。
理由
外国為替及び外国貿易管理法第二一条は、本邦内にある者が本邦内において占有する対外支払手段及び貴金属について集中義務の原則を定めたものであり、同法第二二条は居住者の財産たる対外支払手段、貴金属、対外債権及び外貨証券についての集中義務の原則を定めたものであつて、両規定は集中義務者及び集中対象を異にするものであるから、本邦内にある居住者が、本邦内において取得した対外支払手段について集中義務に違背したときは、外国為替及び外国貿易管理法第二一条第七〇条第二二号外国為替管理令第三条、外国為替集中規則第三条第一項罰金等臨時措置法第二条に該当するものであつて、同管理法第二二条を適用すべき限りではないと解すべきである。よしや本邦人以外の居住者として同法第二五条の特例により同法第二二条の適用なき場合があるとしても、前説示のごとく本件についてはすでに同法第二一条の適用ある場合である以上右法条による集中義務のあることもちろんであつて、これに違反する場合にはその罪責を免れることはできない。所論はひつきよう原判決認定の事実と異る事実を前提として同法第二五条の特例が適用せらるべきである旨主張するものであつて採用しがたいところである。しからば、原判示第三の集中義務違反の点につき原判決にはなんら法令の適用に誤なきものである。なお外国において支払われる小切手が「対外支払手段」に該ることは同法第六条第一項第七号及び第八号によつて明らかであり、同集中規則第三条第一項にいう「取得」とは所論のごとく、これを第三者との取引に因る取得に限るべきいわれはなく、自己が外国において有する外国銀行預金にもとずいて小切手を振り出す場合をも含むと解すべきであり、いやしくもこれを本邦内で振り出すにおいては、本邦内にある対外支払手段の取得に該当するものであることはいうをまたないところである。もしそれ小切手が振出の時において現金化されるべき十分な可能性が明らかにされなければその振出は右集中規則第三条にいう支払手段の取得とはいわれないとする所論にいたつては、小切手が設権証券であることを無視した独自の見解に過ぎないものであつて排斥せらるべきであり、原審が本件小切手につき、これを決済すべき銀行預金の存在、その充足の可能性又は銀行における現金化などにつき審理していないからといつて審理不尽又は証拠不十分とはいわれない。さらに本件小切手を原判示第三のごとく航空便で米国に向けて発送した所為が同管理法第二七条第一項第一号にいう「外国へ向けた支払」に該ることもいうをまたないところであり、右外国向け支払の禁止規定は、外貨の流出を防ぐことを目的とし、前示集中義務規定は、本邦内にある外貨資金を政府の手に集中管理するための対外支払手段の規制を目的とするものであるから、各別罪を構成するものであつて、集中義務違反の罪が外国へ向けた支払の罪に吸収される関係にあるものではない。しかして本件においては、被告人は原判示小切手を振り出して直ちに航空便で米国に向けて発送したものと認められるから、たとえ同集中規則第三条所定の集中義務期間内であつても、右外国へ向けた支払の行為によつて右集中義務違反の犯罪性が具現されたものとみられるので、右行為によつて外国へ向けた支払の罪を構成すると同時に右集中義務違反の罪をも構成し、一個の行為で二個の罪名に触れる場合というべきであるから、刑法第五四条第一項前段を適用した原判決はまことに正当である。最後に、同法第一〇条の適用についても、同管理法第二一条と第二七条第一項とは各罪の法定刑が同一であつて、その犯情として前者の罪が後者の罪よりも重いとみた原判決があながち妥当を欠くものとはいわれない。かくして原判決には所論のごとき法令適用の誤などの違法はなく、論旨は理由なきものである。
(その他の判決理由は省略する。)
(裁判長判事 中野保雄 判事 尾後貫荘太郎 判事 堀真道)
弁護人浅野昇の控訴趣意
第二点原判決はその理由判示第三の所為の認定に於て、
「本邦に於て、米ドル表示の小切手を振出した以上、外国為替及外国貿易管理法(以下単に外為法又は法と云う)第二十一条の本邦内にある対外支払手段に該当するので同法第二十五条の例外規定の適用はなく、外為集中義務を課せられ之に違反して該小切手を外国へ郵送するに於ては外国に向けた支払となり孰れも外為管理の対象となり処罰されること謂う迄もない」と説明した上集中義務違反の点は外為法第二十一条以下摘示の法規に、外国に向けた支払の点は、外為法第二十七条以下摘示の法規に該当するものとして、刑法第五十四条第一項前段、同第十条に則り犯情重い前者(集中義務違反)の刑に従う、と判示して居るところ、右の如く、(一)小切手振出行為が直ちに対外支払手段の取得に、又右小切手の米国への空輸は法第二十七条違反に該当すると結論して居る点審理誠にづさんな点があり、(二)外為法第二十五条の抗弁を斥けて同第二十一条、同二十七条違反と認定したのは、法条の適用をあやまつたものであり、(三) 依つて誤つて刑法観念的競合罪の適用を為すに至つたものである。
以下右(一)(二)(三)を各別に又は引つくるめて左の通り説明する。
(一)(イ) 外為法の主目的は我が国の所有し又は所有すべき外貨資金を保持管理し外国への流出を管理する処にある。此の趣旨に基き外為管理令第三条第一号は、居住者に対し、
一、対外支払手段
二、外貨債権
を一定機関に売却する事を要求して居る。
但し、右に基き発せられた外為集中規則第三条が、本邦内居住者が左に掲げる財産(即ち一、対外支払手段二、外貨債権)を取得し、又は輸入したときは取得し又は輸入した日から十日以内に一定機関に売却しなければならぬと更に視定して居る趣旨は充分に吟味せらるべき所である。右の「取得し、又は輸入したときは」と在るは第三者との取引に基いて「取得し、又は輸入したときは」と解す可きであつて、本件の如く、控訴人が米本国の銀行に於てかねて有する預金債権引出し(処分)の為め自己名義で小切手を振出した場合が之に該当するとは考えられない(法第二十五条と言う法第二十二条の例外規定を充分に吟味するときは尚一層此の「取得し」の意味が明瞭になる)のである。
(ロ) 又支払手段と謂うは「金銭の現実の移転」に代る方法なのだから、「小切手の振出」と言つてもその小切手が振出の時に於て現金化され得べき十分な可能性が明確にされねば(勿論振出の時に当該銀行に預金資金が無くても、将来呈示の時迄に充足される場合もあるのだから、その場合をも含めて)支払手段の取得とは謂えぬと考えられる。偽造に係る外国銀行宛小切手を振出しても、又、第三者より取得しても、第三者に対し之を交付しても集中義務違反に問はれぬのは、それが現金化されぬ事が明白であるからであつて、所謂「不渡り小切手」(銀行に決済資金の無い事、資金が充足されぬ事、既に停止処分を受けて居る事等が明白な場合)に付ても同様であろう。本件に於て控訴人が、クロツカー・アングロ・ナシヨナル銀行、マーケツト・ジヨーンズ支店(以下単にクロツカー銀行支店と云う)支払のドル表示金額四百弗の小切手を振出した事が一応認定されたとしても右小切手を決済す可き資金(預金)の存在その充足の可能性、又は銀行に於ける当該小切手の現金化等が審理されて居らぬのは弁護人の指摘する処のずさん(審理不充分、又は証拠不充分)に該当するものである。
(ハ) 右小切手の米国への空輸が法第二十七条第一項第一号の外国へ向けた支払に該当するかどうかに付ても右と同様の審理が必要であると考えるのである。
(二)(イ) 被告人が、自己名義でクロツカー銀行支店支払の小切手を振出した上、米国へ送付した以上被告人は当時其の名で同銀行に於て預金(外貨債権)を有して居たと一応推定せらる可きである。而して又、前に述べた様に小切手の振出は、当該振出人の有する銀行預金の処分に外ならぬのであるから、本件の審理に於ては法第二十五条と同第二十二条及同第二十一条も勘案してその預金は法第二十二条の特別規定である同第二十五条に該当するものでは無いか、即ち、控訴人が日本に来る前から米国に於て有して居るものでは無いか(事実控訴人は検察庁に於ても公判廷に於てもその通り供述して居る)の点を先ず以て吟味しなければならなかつたと考える。
(ロ) 此の点を更に左の通り説明する。
控訴人が日本へ来る前から、即ち非居住者として、又本法体系の適用外の取引により得た金額を、クロツカー銀行支店に預金していた事を真実であると仮定すると、此の外貨債権に付ては、第二十五条に依り、第二十二条の適用が排除される事は論を俟たない。次に右銀行支払の本件小切手の振出しの法的意義の吟味であるが、右は、法第二十二条の適用の無い財産の処分に外ならない。控訴人が来日後、日本に於て為した第三者との取引に依つて取得した対外支払手段ではないのである。決して、外為法以下一連の体系の法規に依つて日本国の保有し又は保有す可き外貨資金の処分では無いのである。若し然らずとせば控訴人は日本に来る前から本国に於て有して居る銀行預金を日本に滞在する間引き出す事が出来ず、当該銀行支払の小切手を振出す毎に之を日本国の一定機関に集中せねばならぬ事になるのであつて、斯くの如きは、法の暴威であり、非現実的であり、人情に即せぬところであると言わざるを得ぬ。即ち、本件小切手送付が法第二十七条の「外国へ向けた支払」に該当するか、せぬかは別として、少くとも「振出」しそのものは対外支払手段の取得には該当しない。
(ハ) 次ぎに控訴人が法第二十五条に依り第二十二条の適用を受けぬ外貨債権を有し之が処分の為め之を資金として自らの名で小切手を振出したのが事実なら全体的に観察して勿論法第二十一条も適用さる可きで無い。
(三)(イ) 以上の如く論じて来つて、仮に小切手空輸の件のみが法第二十七条第一項第一号に該当したとする場合には、観念的競合罪の適用は誤つたものであると謂はねばならぬ。法第二十二条の一、対外支払手段、二、貴金属は法等二十一条の本邦内に在る一、対外支払手段、二、貴金属をも包含すると解すべきであつて、而も如何なる場合に此の両者が区別されて適用される可きかは、外為法の規定においては明確にされて居ない、此の点は、既に立法的に不備であつて法第二十五条の適用に関する限り、両者を区別す可きで無いと論ぜられて居る処であるが、裁判所は、法第二十一条又は同第二十二条の適用に当つては事案の本質を究明し、何が故にその孰れかを適用するのか明白にせねばならぬ義務があるのである。
(ロ) 又、一個の行為で二個の罪名に触れるとしても、法第二十一条、同第二十七条の違反は何れも犯情が同じなのであるから、その重い前者の刑に従うとの判断もその真意の捕捉に迷うのである。
(その他の控訴趣意は省略する。)